財団法人山口育英奨学会は、昭和34年8月に山口家により、優秀な才能を持ちながら経済的理由で修学困難な学生に学資を貸与して、有為な人材を育成することを目的として設立されました。
山口家は、戦国時代に上杉謙信の郷士でしたが、慶長3年(1598年)に小国郷(現在の長岡市小国町横沢)に移住し土地を開墾し農業に従事しました。小国郷は江戸時代後期には羽前上山藩の領地となり、山口家はその大庄屋格(村役人)を務めました。
明治時代の当主山口権三郎は、殖産興業をすすめ、石油・鉄道・銀行・発電などの様々な事業の振興に携わりました。さらに小学校・実業学校を設立するなど人材育成にも力を注ぎ、この意思が代々引き継がれてきました。
大正時代の山口達太郎は、資金を提供して奨学基金を設立し、その運営を新潟県に委ねましたが、第二次世界大戦後の経済変動のため活動は中断されておりました。これを残念に思った山口誠太郎は、育英事業の復活について準備を進めておりましたが実現を見ずに逝去しました。その遺志を継いだ山口順太郎は、昭和34年に私財を投じて財団法人山口育英奨学会を設立し、育英事業を軌道にのせました。
その後公益法人制度の改正に伴い、平成24年4月に公益財団法人の認定を受け公益事業を拡大し、現在は次の事業を行っております。